明治10年代前半、屯田事務局長時代の永山武四郎が私邸として建築したものです。 明治44年同邸の土地、建物は三菱合資会社に買収され、同社の北海道における 炭鉱事業調査及び起業準備等の基地として使用し 昭和12年ごろ新築、貴賓室として使用されていました。 永山武四郎は、明治21年第2代北海道庁長官となり本道の開拓、産業の発展 とくに炭鉱の開発、鉄道の延長等に務め、昭和57年里塚霊園に改葬されています。